学部27回 - 集う仲間たち

卒業30周年 全国大会開催の記

 10月10日(土)長崎に於いて、学部27回生の卒業30周年全国大会が開催された。卒業以来初めての同期会である。

 そもそもは、去年6月に瓊林会全国総会が東京であった際、窪田完二君初め同期が5名来ており、2次会に行き「来年は、俺達も卒業して30年になる。卒業して30年、それぞれの路を歩んでいるだろう。今まで一度も同期会をやっていない。ちょうど節目のいい機会だから、30周年大会をやろうではないか」と話を持ち掛けたところ「いいな、いいな」となった。

 大阪の鬼塚信一君、福岡の田尻正博君そして長崎の佐々木淳一君等に連絡してこの旨を話したら、全員が「いいな、やろう!」ということになった。そして、東京、大阪、福岡に支部を置き、長崎を本部として実行委員会を作り、去年9月に第1回打ち合わせを長崎で行った。

 先ず、各人に連絡するのが問題である。昭和54年卒業生、225名。ゼミ、クラブを中心として連絡を取るのがいいだろうということで、名簿の整理に取り掛かった。佐々木君が仕事の関係で、瓊林会本部より取り寄せていた27回生の名簿を基に、卒業アルバムとにらめっこして、個人別、ゼミ別、クラブ別の名簿を作った。

 各地域に振り分けて、ゼミを巾心に連絡を取り合った。遠くは、栃木、関東から近畿、鹿児島まで61名の参加であった。内、女性5名の参加である。因みに学部27回生は、女性14名の卒業である。また、卒業当時就職難であり、卒業を1年遅らせた同期入学した仲間も2名の参加であった。

 午後3時から母校経済学部にて参加者、54名により記念植樹を行った。予定より早くぞろぞろ集まってくる。正門より拱き橋を渡った右手、我々が学生の時は駐車場だった所に今は大講義室が建っているが、そこの手前角地に「ヒトツバタゴ」の木を植え、「学部27回卒業30周年記念」の石柱を建てた。

 ヒトツバタゴは、別名「ナンジャモンジャ」と呼ばれる国の天然記念物で、台湾や中国大陸に広く分布するが、日本では上対馬町鰐浦一帯と木曽川流域にしか生えていない。

 高さ15m、径70cmにもなる落葉樹で、学部内にこの樹は無く、春に桜が咲いた後5月頃、真っ白な花を咲かせる。やがて、大きくなり綺麗な花を咲かせて、学生の目を楽しませてくれることだろう。

 記念植樹では、やはり久し振りであろう、学生時代に戻った感じでワーワー言いながら、各々数人で記念写真を撮っている。そして、その後はそれぞれに校内を見学して、当時を偲んでいた。

 午後6時から新地の長崎ワシントンホテルでパーティーを行った。これには、恩師金融論河本博介先生(94歳)、国際金融論都野尚典先生

(75歳)を初め、瓊林会より宮脇会長、小野専務理事、鈴木事務局長それに東隆正経済学部長にもご多用の中、ご臨席賜り華を添えて頂いた。

 始まる前から高商校歌がスピーカーから流れ、雰囲気が盛り上がっている。宴会に先立ち、数名遅れて駆けつけた者もいたが、全員で記念写真を撮った。

 渡辺正君の司会により、開会宣言。先ず、お亡くなりになられた志津田先生、山下先生、学友の加藤研介君、川添孝典君に対し、黙祷を捧げた。

 ご来賓から挨拶を頂いたが、宮脇会長の「人は、後半生の生き方でその人の人生の価値が決まる。これからの生き方を大事に」との話は、心に強く残った。

 また、東條学部長からの「今、本校舎が老朽化と耐震基準に合わないため、立て替え中であるが、一学年400名以上の学生がおり、その内4割が女子学生となっている。全学年で女子学生だけでも1000名もの数になっており、こういう状態で一番困っているのは、トイレの間題。今までの校舎は、女性トイレが全々少なかった。皆さんの頃との状況が全く違っており、この点を重視して建て替えている」との話には、皆が驚いた。

 河本先生の音頭で乾杯に移り、和やかな宴会に入った。お互いが30年振りという者が殆どで、名刺を取り交わし各テーブルで話に華が咲き、大いに盛り上がっている。

 宮脇会長、小野専務理事、鈴木事務局長も当然我々の先輩であり.初めての者が多く挨拶と自己紹介にも忙しい。また、前方にスライドで学生時代の情景や写真が写し出されると、歓声の声と共に皆が視入る。

 都野先生に、我々学生時代のエピソードも披露して貰い、思い出して懐かしさでいっぱいになる。そうしたら、河本先生が自分にも一言話しさせろとマイクを握られた。

 我々学生時代から、河本先生が話出されたら話が止まらないのは知っている。これは、えらい事になったと思っていたが、そこは弁えたもの。司会の渡辺君が、ほどよい処で「先生、大変楽しいお話をあり迩とうございました」と半ば強引に割り込み、話を終って貰った。

 河本先生は、まだ話足らないご様子であったが、それにしてもお元気でなによりである。都野先生も、一時体調を崩されておられたが、すっかりお元気になられている。長生きされて、昔話をつまみに杯を交わしたいものである。

 次に、ゼミ単位で写真を写し出して、ゼミ毎に登壇して代表に挨拶をして貰った.顔を合わせれば、直ぐ学生時代にタイムスリップするが、30年という歳月はやはりその姿、形においてはそれなりの容姿を作り出している。

 宴もたけなわであったが、時間も押し迫り、全員が1つの輪となって肩を組み、今は逍遙歌となっている高商時代のボート競争時のC組応援歌「三山緑」を、小生が巻頭言から入り、全員が大きな声で熱唱した。続いて、高商校歌を高唱して、最後に佐々木君の閉会の辞と万歳三唱でお開きとなった。しかし、実行委員会の手回しのよさで、2次会もセットされており、半分以上が一同に会し、更に懇親を深めた。

 このように、お互い元気で再会出来た歓びと、学生時代に戻り当時の若さを取り戻し、明日への活力を得られたことは、なによりの幸せであり最高の一日であった。

 最後に、この会の開催に当たり、骨身を惜しまず連絡を取って頂いた各地区実行委員の方々と長崎現地で準備に奔走して頂いた実行委員の方々にお礼申し上げます。

 次回の開催とまた、元気で会えることを祈って30周年の記と致します。

(田淵好隆 記)
鳥栖市在住

【2010年1月15日公開】

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