サンワ会(学部3回) - 集う仲間たち

粋なサンワ会の全国総会 にっぽん丸でクルージング

 遙かかなたへと伸びる一筋の航跡、おりからの月光に映えて美しくきらめく……。

 あいにくの曇り空、楽しみにしていた駿河湾沖からの富士山の眺望はかなわなかったが太平洋上で観る秋の満月はまたひとしおの感。名月観賞のクルージングを企画とは、まさに敬服ものだ。

 平成21年10月4日午前11時、サンワ会のメンバーを乗せた商船三井客船の外航豪華客船「にっぽん丸」は横浜港を出て神戸港経由、博多港まで2泊3日の航海の途についた。

 今回の全国総会への参加者は総勢51名、16組が夫人同伴だった。

 当初参加を予定していた福岡の梅原富貴男君は肝臓を摘出して闘病中、吉永武光君は腎臓が悪いからと直前になってのキャンセル。また人吉市の田尻信夫君も体調不調で急遽不参如となった。しかし、福岡の渡辺凱昌君は腰の圧迫骨折で2ヶ月間の入院、やっと退院したばかりだが、「松葉杖をついてでも参加する」とのことだった。晴子夫人を伴って渡辺君は乗船、その元気な姿に出会えてホッとする。

 デッキ、船室で顔を合わせて久々の旧潤に浸り、再会を喜び合っての懐旧談が弾む。やがて昼食会、それが終わると今度は全員6階のスポーツデッキに移動し、記念写真の撮影。ついで午後2時半から船内のシアターで総会を開く。まず学友の物故者へ哀悼の黙祷を。入学当初は160名、学部に進み175名だった同期生のうち、43名がいなくなっている。それでも学友の説明によれば「平均を上回る生存率だ」と医師に感心されたそうである。

 なるほど、そうなんだ。サンワ会の諸兄はまだまだ若く健在なのだ。それで船上総会では「今後、全国総会を継統させるか」の課題に、「従来の形を変えて継続」しようと異諭なく決められたのだろう。

 午後7時からの白川船長主催のカクテルパーティ。乗船時にシャンペンを振る舞われたが、ここでは幹部乗組員の紹介とにっぽん丸自慢の4種のカクテルが提供された。ことにスカイブルーの“月下の美人”が魅力的。そばにいた学友が「あれ全種類呑まなきゃー」。だが張り切っていたのに呑めたのは3種類だけだったそうだ。

 午後7時半の夕食時間まで各自思いのままにくつろぎ、そしてダイニングルーム瑞穂へ。“ウエルカム・ディナー”のメニューは、フランス料理のフルコース。さすがに「食のにっぽん丸」と評されるだけのことはある。

 突然ダイニングルームの奥の方が騒がしくなった。誰か倒れたようである。

 テーブルサービスの乗組員の1人が駆け出していく。その背中に「急いで救急箱を持ってきて…」の声が飛ぶ。私と同じテーブルにいた幹事の津村好計君らも慌てて駆け寄る。

 乗り組みのナースに続いて、船長が「いつも手持ち無沙汰にしている」と紹介したばかりの小西船医も駆けつけ、その場で手早い処置が……。

 倒れたのは「50年ぶりの快挙だ。ぜひ参加する」とやってきた熊本市在住の浦上安紀君だった。最近は車いすが必要な生活、それだけに久しぶりの旧友との再会に感激し、歓談に夢中になって食事をノドにつまらせたらしい。

 食物をノドにつまらせると呼吸困難の症状になるため、30分以内に処置しないと危険なのだそうだ。船上でのアクシデント、幸いにも身近に、しかもすぐ駆けつけてくれる船医がいてよかった。しかも終夜船医らが付きっきりでの看病。「にっぼん丸での総会でよかったなあー」と語りあったものである。

 ともあれディナーは豪華で、しかも美味。フランス料理に好みのワインのボトルが次々と空けられていく。さすがに「食のにっぼん丸」と評されるだけのことはあった。食べ過ぎと思いながらも、つい出された料理をあまさず胃袋に納めてしまった。

 満ち足りた気分で、午後9時半からのショータイムに足を向ける。エンターテイメントはオペラ歌手の中島啓江だった。中島啓江は「日本の童謡」を歌い語ったが、その豊かな声量、それを上回る堂々たる体躯に圧倒される。だが歌唱力はやはりさすが。三木露風のお馴染みの“赤とんぼ”を会場の人ともども合唱し、翌5日はアベマリアに始まる「世界の歌」がテーマだった。“歌には民族のこころがある”と語りかける中島啓江、そのトークの巧みさに、おもわず引き込まれて航海の一刻を楽しんだ。

 たっぷりと時間をかけて旅を楽しむクルージング。ショーの後、ホールはソシアルダンスの会場へと模様替え。「退職後に趣味で始めたんだ」という幹事の大串欣也君は、洋上でのダンスを楽しむために、わざわざダンスシューズを持参したという。パートナーを探していたが、はたしてよき相手と出会い、軽快にステップを踏めたかどうか……。

 ダンスだけでない。カジノゲームやビンゴゲーム、サロンマジック、映画も楽しめる。さらには夜食のナイトスナックまでもある。ビンゴゲームをのぞいた平塚廣光君は、運良く景品に高級ワインを手にいれた。バーでは遅くまでグラスを傾けて会話を楽しむメンバーたち。年月を超えた風景だった。

 この間、にっぽん丸はピッチを上げ、速度を速めて神戸へ急いでくれた。浦上君を神戸の病院に入院させるためだ。おかげで予定より1時間半も早く神戸港に着岸、浦上君は待ち受けていた救急車で日赤緊急センターへ転送された。

 浦上君は数日後に退院、「次回のサンワ会に元気な姿で出席することが、お世話になった方々への最大のお礼であると体調回復に努めている」そうだ。万全の処置に全力で取り組んでくださった商船三井客船の関係者の方々にともに感謝した い。

 神戸港では参加者の大半が下船、博多まで乗る16名と再会を約して別れた。

 2日日の航海は風景を楽しむ瀬戸内海。淡路島が間近に見えだすと、乗客全員がデッキへ集まる。前方に明石大橋が理れ、そして瀬戸大橋が……。

 大小の船が行き交う瀬戸内海、とくに来島海峡は狭く幅400メートル、にっぽん丸のような大型船にとっては難所の一つだそうだ。それだけに来島大橋をくぐりぬけ、島すれすれを行く展望はすばらしいものだった。下船後、岩永浩君が「関門大橋も見ようと思ってデッキに出てみたが、通過した後だった」と残念そうに語っていた。これだけ多くの架橋を、下からのぞく機会なんてまたとないだろう。

 6日午前8時、にっぽん丸は予定通り博多港についた。
 「お疲れさま」と挨拶、「食べてばかりで3キロも肥ったよ。減量が大変だ」と三澤孝介君がいえば、「僕も肥った。なにしろ食べてばかりだったからね」と平塚君。すてきな出会いとすてきな食事、ハプニングもあった忘れ得ぬクルージングだった。

 老化防止の方法の一つとして、「感動すること」そして「意外性を体験すること」だという。半世紀を超える歳月を経たいま、変わらぬ友情の絆で結ばれていたという感動、そしてクルージングでの同期会という意外性といくつかのハプニング、「感動」と「意外性」が若さを保つ秘訣であるならば、今回の全国総会は若さを与えてくれる交歓の場であった。

 幹事のもとには多くのお礼の声が寄せられているが、その一部を紹介してクルージング総会の記事の締めくくりとしたい。

 まず長崎の大塚久治君からは、「発想のユニークさに始まり、細部にわたる気配り、すぺてに感激いたしました」と初めてクルーズの旅を楽しんだというEメール。

 そして、聿子夫人をいたわりながら乗船した東京の岡田憲明君からは、「殊に私の場合、妻の下肢障害と食物アレルギーの故に格別のご高配を賜り、お陰様で乗船中何の事故も拒絶反応も起こらず、終始愉快に航海を楽しめたのは、偏に幹事諸兄の周到な事前ご手配の賜物であり、感謝の言葉もありません。……厚く御礼申し上げます」と記されていた。

 今回の総会を企画立案し、楽しく数々の思い出を与えてくれた東京支部の学友、なかでも幹事としての大役を全うしてくださった諸兄よ、“ありがとう”。

(中谷隆一記)
福岡市在住


上記の総会出席者表はクリックすると大きく表示されます。

【2010年1月15日公開】

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