暁星会(経専43回) - 集う仲間たち

大津・ミニ暁星会 開催の記

 平成21年4月8日、今回の大津ミニ暁星会は、前瓊林会々長(現NHK会長)福地氏の「同窓会は会旗を掲げて入場行進をし、大いに盛り上げるべし」という信念に習い、元大津市会議員の高木君が陸士の大先輩として自ら暁星会旗を掲げ、大津駅頭に出向いて遠来の友を迎えたことから始まった。そして琵琶湖ホテル玄関中央においては、瓊林会ハッピを着用した関西勢8名の全員が一列に並んで、笑顔満面の学友を迎え入れたのである。

 午後5時30分、38名が参集、暁星会旗を中心に記念撮影、引続き会旗を先頭に式典会場に入場、全員が見守る中、暁星会旗はゆっくりと進み、演壇中央正面に高々と掲揚された。そしてこの同期のシンボルである暁星会旗に、我衆は心から敬意を表し拍手を贈ったのである。

 午後6時ジャスト、先ず司会(久保山)より歓迎の挨拶があり、奥の細道の俳人松尾芭蕉が、中国の瀟湘八景を見立てた近江八景に詩心を感じてか遺言を残し、琵琶湖展望の素晴らしい場所、膳所の山里に埋葬されている事、又大津京は、大化の改新を成し遂げた中大兄皇子が、天智天皇に即位して都を築いた歴史の土地である事等が紹介された。

 そして何はともあれ先ず最初に、本年度に黄泉の彼岸に旅立った同窓6名を含む計88名の慰霊に対し、心から黙祷を捧げた。続いて急激な体調不良で巳む無く本日欠席となった7名の同窓の健康にも思いを馳せ、80歳という節目の年を、先ずは本日の全員大合唱で元気に乗り切ろうと誓い合ったのである。

 いよいよ同窓会恒例の暁星会々長挨拶、是が非でも出席して、海兵仕込みの張りのある挨拶をしたいと張り切っていた田崎君も急激な体調異変で遂に欠席、代わって副会長の林田君が即興で雄弁の挨拶をした。

 次いで各地区代表が簡潔に現況報告、お陰で会員の動静が大よそ察知できて、同期の絆がより強くなっていくのを覚えた。

 遂に本番の宴会が始まった。先ず乾杯だ!関西世話人を代表して、積山君が海兵の大先輩よろしく、威厳と蛮声で、健康と盛会の乾杯を絶叫した。互いに健康を喜び合い、肩をたたいて杯を重ね、語り合った。

 程酔い気分となる頃、イベント幕開けの嚆矢として恒例となった謡曲が始まった。横山・愛川両君の師弟コンビが琵琶湖に因んだ観世流「竹生島」を地響きのする大音声で腹の底から歌い上げてくれた。高い天井の大会場も、割れんばかりの大喝采である。

 続いて藤善君の独唱である。自らピアノを演奏しながら、海兵予科の青年らしく、厳しい声で情感をこめ、しんみりと「長崎の鐘」を歌った。全員静かに聞き入り、涙する者もいた。

 次は一転して全員総立ちの大合唱となった。藤善君推薦の24曲、東君推薦の17曲を予め編集して全員に配布、

総指揮兼ピアノ奏者 藤善/ピアノ演奏協演者 山口夫人/ サブコンダクター 森・東

 大合唱の皮切りは「千の風になって」そして「琵琶湖周航の歌」「知床旅情」…「同期の桜」、陸士・海兵の歌合戦と拾数曲が次々に熱唱競演された。

 小休止して余韻を楽しむ間もなく第2幕が始まった。

 今後は全く趣を変えて、原田君独創独演の海兵体操だ。アレンジした脳力体操である。かつて若かりし頃、祗園の芸妓に「一晩でマスター出来れば拾万円を懸賞」としたが誰も出来なかった由、ご夫人の中には相当熱心に練習されている方もいたが果たして成果は?

 突然…カラオケ音頭が流れてきた。山口君の阿波踊りだ…いよいよ会場はクライマックスに突入「ゆかた」に「たすき」高商手ぬぐいの「鉢巻」で両手に「うちわ」と実に堂に入ったものである。

 全員が踊りまくることしばし…歓喜と熱気の渦が流れた。

 第3幕は、再び全員大合唱である。

 全員総立ち、まるで「歌声喫茶」さながらの歌集片手に精いっぱいの声を出し、故郷の唄、思い出の詩を歌い始めた。再び温もりのある心地よい旋律の渦と化した。

 突如として乱舞の掛け声が響き渡った。東君の全身全霊、腹の底から燃えあがった大音響の冠頭言である。

 全員が呼応、円陣を組んで唱和した。

 一斉に校歌が響き、逍遥歌が流れた。

 全員が60年前の青春時代にかえり、無心になって歌い踊った。中には足を肩の高さまで蹴り上げ、元気を振りまいている者もいた。実に頼もしい学生ストームとなった。

 この80歳という年老いた節目に、若き日の思い出の歌を2時間以上も合唱したことは、恐らくこれからの人生に一番楽しかった思い出として、最後まで残る事であろう。

 夜は更けて、いつの間にか定刻を過ぎた。暁星会代表世話役の森君が総括して、今回の画期的で活気溢れるイベントに、心から拍手をおくると共に、来年の本大会は長崎で、より有意義なものにしたいと抱負を述べた。

 全員ほのぼのとした余韻を残し、琵琶湖展望の夜景を楽しみながら、静かに明日の古寺巡礼を思い浮かべて、眠りに就いたであろう。

参加者

関東
黒川、坂本、友貞、東2)、山口2)、山田2)

中部
林、藤丸

関西
小崎、久保山、積山、高木、原田、永江、平島

福岡
愛川2)、井波2)、瀬尾、田原、永松、中溝、林田2)、諸岡、横山

長崎
衛藤2)、副島2)、藤善、森2)、中島

4月9日

 昨日は、青春謳歌の大合唱

 今日は、老後祈りの古寺巡礼

 一昨年、奈良ミニ暁星会で、白由選択ではあるが奈良の古寺巡拝を企画したので、今回は、その奈良仏教の政治化、形式化に異を唱えて、己の内面を深く見つめ、厳しい戒律を守りながら修行する密教の大本山を巡礼することにした。即ち天台密教の始祖、比叡山延暦寺と、この山門派に対して寺門派として独立した園城寺(三井寺)、そして東大寺末の華厳宗石山寺にも参詣する事としたのである。

 午前9時、ホテル出発、ホテルの大型送迎バスに36名がゆったりと乗車、そして独立個人の専門ガイド(上級全国検定)の実に親切な案内と要を得た説明で、全員が十分に満足。お陰で信仰、観光、健康の「三こう」を兼ねた巡行となった様である。

I) 先ず比叡山山麓の園城寺を参拝、三井寺という通称は、天智、天武、持統の三帝が産湯に使った霊泉(御井)があることに由来している由、三井寺の三つの名鐘(弁慶鐘、三井の晩鐘、朝鮮鐘)と、フエノロサの墓、そして西国第十三番札所の観音堂を拝観した。

II) ガイドさんの解りやすい仏教の話を聞きながら、最澄が天台宗の根本道場とした比叡山へ、延暦寺は比叡山全域が境内である。宿坊のレストランで精進料理をいただく。横川境域、西塔境域、東塔境域の全城を巡行した。

 延暦寺根本中堂(不減の法灯)
「あきらけく のちの仏の み世までも 光り伝えよ 法のともしび」(最澄)

 大講堂(僧侶の学問所)
「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」(密教)
 輩出した名僧と宗派
 法然上人-浄土宗、栄西禅師-臨済宗
 親鸞聖人-浄土真宗、道元禅師-曹洞宗
 日蓮上人-日蓮宗、一遍上人-時宗

III) 最後に紫式部「源氏物語」執筆の場所という伝承の石山寺へ、参道を進むとやがて硅灰石の岩場が現れ、そ和を取り囲むように本堂や毘沙門堂などが建っている。なお本堂の本尊西国三十三所霊場第十三番の如意輪観音像も硅灰石を台座としている。この硅灰石が「石山寺」の名の起こりであり、国の天然記念物にもなっているようだ。

 以上で信仰と云うよりは観光に偏ったお寺巡りが終わった。然しガイドさんの説明で、お寺さんが大分身近に感じられるようになったようだ。

 九州のある会員が福岡まで出張ガイド願えるかと尋ねているのを知り、古寺巡行のやり甲斐を感じ安堵した。

IV) 夕食後はオプションとして高木君の案内で、京都疏水公園から三井寺の観音堂を見上げる1000万ドルの夜桜を楽しんだ。これもまた大変な評判で定刻を過ぎてもパチリをたのしんでいたようである。

4月10日

 最後は、ゴルフコンペで絆磐石

 80歳過ぎても、元気にラウンド出来るのは誠に幸せである。因みに積山君は今春の関西水交会ゴルフコンペに於いてエイジシュート(81才でスコア79)の名誉を成し遂げている。

 今回は第20回暁星会(スプロート会)ゴルフコンペとして井上誠一設計の瀬田ゴルフ東コースで実施した。

 実に爽快なコンペであり、又お国自慢に花を咲かせた和気藹々のコンペであった。

参加者
優勝 中島(長崎)
準優勝 久保山(大阪)
3位 藤丸(名丸屋)
 積山(大阪)、田原(福岡)、友貞(東京)、林(名古屋)以上

(久保山 記)
大阪在住

【2010年1月15日公開】

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