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福地名誉会長講演内容(平成二十一年二月一日(日)、活水女子大学内)
「長崎游学~長崎で学ぶ意義~」

会誌「瓊林」記事紹介(第114号より)

 平成21年2月1日(日)、活水女子大学大チャペルで行われた「游学のまち長崎」フォーラムの基調講演として、福地名誉会長が「長崎游学~長崎で学ぶ意義~」というテーマで講演されたので、その内容を紹介します。
 なお、「游学のまち長崎」フォーラムは、長崎のまち全体が貴重な学びの場となるような「游学の地」として個性と魅力を高めるために、長崎市が地域の大学等と連携し、「游学のまち長崎」の推進を図っており、その一環として、今回フォーラムが開催されております。
 みなさんこんにちは。
 NHKの福地でございます、といいましてもまだ1年でございまして、まだ板についておりませんが、実は、10月でしたか11月ごろでしたか、田上市長から電話で「游学のまち長崎」ということでフォーラムをやるんで基調講演をやってくれないかということで、「游学のまち」ですか?と聞きました。しばらく考えましてそういえば游学ということもあったなと。私は電話の中では「ゆうがく」というのは「遊ぶ」ほうの「遊学」だと思っておりましたが、サンズイへんの「游学」だと。いまどきそんな漢字があるのかなと思いまして、実は辞書を引いてみましたらちゃんとありました。
 あらためて考えますとやっぱり「游学」という言葉はそういった、今、学ぶって言うのは知識をがむしゃらに習得するほうか、それか大学に遊びにいくかどっちかで、本当に学びつつ豊かな生活、市民生活、市民との共生といった、そんなロマンのある游学って言うことをしばらく忘れてたんじゃないかな。
 私たち日本人もそういったことをあらためて思い起こす。今の若い人は游学って分からないかもわかりませんが、しかしそういったやっぱりまちづくりっていうのは、長崎に一番ふさわしいんじゃないかなということで、訳も分からないままに基調講演を引き受けた次第なんですけども、私は、教育行政について無知でありますし、都市工学の専門家でもありませんし、ビール屋と放送屋をやってきたわけでございます。
 果たしてご期待に沿う話ができるかどうかわかりませんが、みなさん方のお手元にお届けしております、レジュメに沿っておしゃべりをさせていただきたいと思います。
 知識を得るというのは何も長崎まで足を運ばなくったって十分ですし、今グーグルで検索しましたら世界中の情報みんなグーグルの中に入っているぐらいですから、必要ないですが、私は学ぶっていうことが知識を得ることじゃなくって、知識を理解することじゃないかなと。知識を理解するということはどういうことかなというと、やっぱり、体で覚えることじゃないかなと。
 だから、私は、游学って言うのはデジタルの世界じゃなくって、デジタルを手段として使うことはできますけれども、游学っていうのはアナログの世界だろうなと。やっぱり、長崎に足を運んで、そこで市民の人たちと共生の中で游学っていう、そのロマンが生まれるんだろうな。
 今、デジタル化がどんどんどんどん進みまして、アナログが忘れ去られていっている。デジタルっていうのは私はアナログを実現するための手段だと思うんですが、デジタルが目的になっちゃったという感じがします。
 よくあるんですが、私はNHKにいながら、テレビ見ないでいいっていうのがおかしな話なんですが、NHKの「日曜美術館」ってのがあります。NHKの「日曜美術館」を見たあとは必ず美術館に行って絵を見ます。美術館で本当の絵を見たいと思うようになる。それで一応日曜美術館でいろんな解説を引いて、知識を得て、それはそれでいいんです。しかし、絵って言うのは本物を見ないとだめなんです。
 コンサートもそうですけども、NHKでコンサートを放送しながら、本物を聴けというのもおかしな話ですが、私は、コンサートというのは、音楽というのは耳で聴くもんじゃなくて、雰囲気で聴くもんだと思っております。あの、目で聴くもんだと思ってますから。だいたいベートーベンの第九なんかもそうですよね。確かに高品質のオーディオで聴いてもいいですが、やっぱりコンサートホールで200人のコーラスを聴きますと雰囲気にのまれてしまう。あれはすごいな。
 同じように、映像というものが音がなかったら、映像って映像だけ見ればいいかっていうとそうじゃないですよね。映画館に行って映画の中で音のない映画って全然さえないですよね。
 テレビのドラマでも、音楽が入っているからいいんですが、音楽がない画面てぜんぜんだめですよね。だから私は映像は、目で見るもんじゃなくって、映像は耳でも見るもんだと。音楽は耳で聴くもんだけじゃなくって、目でも聴くもんだ、雰囲気で聴くもんだと。
 同じようにやはり、游学というのもそういうことだと思いますね。今、私よくこの話をするんですけど、お医者さんていうのは、昔は全部アナログで診察しました。人間、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚ですか。お医者さんはまず、患者さん入ってきたら目で顔色を見ますね、舌を出してっていって、舌の色を見ます。これ、目で診察してますよね。その次聴診器を当てます。耳で診察してますよね。その次手を出して背中当てて、これ触感で、感触でしてますよね。五感で三つ使って診察している。そうやって、お医者さんはやっぱりアナログ的な診察の上でですね、それで血液検査とかいろんな検査で、デジタルで検証している。それがやっぱり今日の医学を先進してきたと、私はそういうことだというふうに思うんです。
 私は、この、游学のまち長崎というものも、そういったアナログ的な雰囲気をどこまで醸し出せるかっていうのが、一番大きなテーマではないかというふうに思いますけれども
 しかし、個々に、こういったことに思いをかけた田上市長をはじめ長崎の各大学の学長さん達が、こういった問題意識を持たれているのはすばらしいことだと。私も、共感をした次第であります。
 ということで、用意もですね、いろんなデータを集めようと思って、いろんなものを見ておりましたら、実は、NHK文化センターというのが全国にあるんですが、東京の港区青山にですね、文化センターがあります。そこよく見たらですね、長崎遊学サロンというのがあるんです。
 2月28日、3月の7日にですね、活水女子大学の永吉美恵子先生とおっしゃるんですか、こちらが「マダムバタフライと自分について」、それから長崎県文化振興課長補佐の方とか、あるいは文化振興課の参事の方「坂本龍馬が生きた時代」。やっぱりいろんなところで長崎游学という言葉が生きてるんだなと。ただ、東京でやるなら長崎游学じゃないですね。長崎の人の東京遊学になっちゃいますから。
 そういったことで、今もいろいろあるんだなという感じがいたしました。
 そういうことで、私自身のことを少し、長崎大学に学んだっていう実体験から少し長崎でのことをお話てみます。
 私北九州市で文房具屋の紙屋の三代目の長男でございまして、三代目がつぶすっていうぐらいで三代続かないということで、私も長男でございますから親の跡を継いで紙屋の主人になるつもりでございました。父親も若かったから少し大学へ行って勉強してみるかということでしたんで、小倉高校の当時商業科のほうへ入りました。大学に行かずに、文房具屋の跡継ぎになるつもりだったんですが、父親がそういうことを言うもんですから、それなら、高校時代の恩師が、長崎高商出身でしたし、それから、私のおじがやはり長崎高商出身でしたから、迷うことなく長崎大学経済学部を受けることになりました。
 と言いましても、1953年、今から55年も前のことですから、なかなか思い出すことも難しいもんですから、私すごく日記を書いておりまして、大学時代のノートもみんな持ってますんで、実は55年前のノート引っ張り出したり、55年前の当時の日記帳をずっとめくっておりましたら、昭和28年ですから、1953年の2月にですね、長崎大学から「栄えある合格を祝しご勉学を祈る」という電報が出てまいりました。実は、合格にもらった電報の用紙も全部持っておりましてですね、今から見るとずいぶんと悪い紙ですけども、長崎大学入学許可証がちゃんと出てきまして、感慨を新たにいたしました。  3月2日に入学試験というのがありました。入学試験ということで私は長崎のまちを訪れたのはもちろん生まれて初めてだったんですが、そのときの印象が日記帳に書いてありました。  ちょうど試験の前日ですが、3月2日のことですが、長崎での第1日を迎え旅館に落ち着くとすぐ学校、学校と言うと片淵のあれですが、学校の下見に行くと。同じ受験生であろう学生の列がずっと続いている。午後、床を敷いて早寝をした。そのあとですね、長崎のまち僕は大好きと書いてある。やっぱりよっぽど印象がよかった。極めていい印象が僕にはあったということだと思います。
 試験当日のこともありますけども、これは省かしていただきますけども、実は合格いたしまして、1年間大村で教養課程をやりました。2年次から長崎に移ってきて、最初夫婦川で下宿をしまして、そのあと、片淵で下宿をしたんですが、ちょうど3年生のときのですね、5月7日の日記に、見ておりましたら、游学という言葉を使ってるんですね。游学って言うのはそのときの私自身の気持ちの中にあったんじゃないかなと思いました。
 実は、これは母の日なんですよね。母の日に、母に祝電を打ってですね、そのときの大家さんに言われまして、母の日であるので、ふるさとの母へ慶祝電報を打った。無駄遣いだと口では言うかもしれないが、やはり母も喜んでくれるに違いない。ふるさとという言葉ほど、僕たち游学の子にとって心惹かれるものはない、というふうに書いてあるんですね。  だからその当時からですね、北九州から出てきただけですが游学っていう気持ちがあったんだろうなと日記帳を広げておりまして思いました。
 私はこの日記、当時のことを見ながらですね、游学って要するにふるさとを出て、よそで学ぶ。そのときにですね、あらためてやっぱり親のありがたさってわかるんじゃないかという感じがしますね。ずっと親元から通ってますとありがたみは分かりませんが、そうだよなあと思いました。そうしますとね、私長崎、大村と4年間、毎日母親が新聞を送ってくれました。その当時はテレビはないですから、ラジオか新聞しか、情報の手段はない。新聞はですね、長崎の新聞は長崎のことは書いてありますけどふるさとのことは書いてない。
 だから母親が送ってくるのは西日本新聞の一番後ろの北九州版と書いてある。毎日毎日、降っても照っても毎日送ってくる。それと、こういうことは離れてみて母親のありがたさが分かるんだなという感じがしました。
 そういったことで当時から游学という気持ちがあったんだなというふうな感じがいたします。
 授業はわりに真面目に出ましてね、むしろ授業は真面目に出て、欠席することはあまりなかったんですが、先生の方の休講が多いんですね。先生のほうが休講休講でまとめて補講補講で、なんか休みがあれば補講ってあったなって。わりに真面目に自分で出てたような感じがいたします。
 大学生活で良いっていうのはやはり、特にですね、長崎大学のように、今はもう少し人数が多いですが、私らは同級生が1学年180人でしたから、全員わかりますね、同年代で。同級生が極めて仲が良いということと、それから、授業のない時間は、だいたい私の下宿にみんな集まってまして、いつも12、3人は来ておりました。今日も見えてると思いますが、浜屋百貨店の藤木会長なんかは学校に行くより私の下宿に来てるほうが多いんですから。だいたい弁当持って来ている。しかもそれは必ず学校サボるんじゃなくて学校の行きがけか帰りがけに10数人集まってました。
 それもだべりばっかりするんじゃなくて何かやろうじゃないかということで、当時、経済学の1番流行りの頃でございまして、ケインズの一般理論の勉強会をやろうということで、12、3人、藤木会長もそうですし、後に東芝の副社長になりました内山君ていうのもそうでした。一緒に私の下宿で勉強会したもんですが、そうですね、名前を何て付けようか。ケインズというのはあれは有効需要を生むために、日本で言えば、3月末になったら、公共投資で掘り返したと思ったら埋めて、埋めたらまた掘り返してというのをやってましたが、ああいったことも大事なんだというふうなことで、無駄遣いの多そうなマイダス王ってことで、マイダス王でマイダスをとってマイダス会という名前を付けたのを今でも記憶しております。
 そういったことをよくやりましたし、それから、長崎大学の経済学部で「扶蓉」という機関紙を出している。「扶蓉」の機関紙の編集に携わって、そういったときに冊子を書いたりして、その冊子が今でもあるんですが、私は今、アサヒビール時代でもそうですが、NHKでもそうですが、海外のいろんな大使館だとか、各国のそういった人たちにクリスマスカードを送ります。アサヒビール時代の海外の得意先にクリスマスカードを送りますが、クリスマスカードは全部自分で描いた絵でやっておりまして、だいたいクリスマスカード買いますと250円ぐらいするんですが、自分で書いたやつを印刷してきっちりやっても200円ぐらいですから、全部を自分の描いた絵のクリスマスカードにして、こういったのをずっとしておりますが、そういったのも、長崎大学経済学部の雑誌のおかげでございました。
 本も割合よく読んだ。当時楽しいテレビないわけですから、ワンセグもありません。もちろん携帯もありません、ワンセグもありませんから、ラジオ聴くか新聞読むか、本読むかですから、本もよく読みました。もちろん「日本資本主義講座」とか、あるいは、当時資本が流行ってましたから、そういったもの、もちろん当たり前ですが、そういった経済誌だけじゃなくって、日記帳を広げてみますとね、「アンネの日記」がちょうど流行ってまして、「アンネの日記」で「光ほのか」にですとか、山本有三の「真実一路」とか、ヘルマンヘッセの「郷愁」とか。そういった本を読んでおりましたし、それから、「島崎藤村詩集」、旅行が好きだったもんですから、それから、林健太郎さんの「明日への歴史」というのが、時代を風靡した1つの哲学者の考え方の本だったもんですからよく読みました。
 そういったもののほかに、月刊誌では、そうですね、「中央公論」と、「改造」と、どういうわけか母親は「婦人公論」を送ってくるもんですから、「婦人公論」、もう1つわからないのがですね、母親が持ってくるのがですね、「男子専科」です。だってその当時は、学生服しか着てないで、背広がないですから、そういったわけで「男子専科」といっても、アイビースタイルが流行ったわけですが、そういったこともありましたけども、本はよく読んでおりました。
 レコード、当時は蓄音機で手を回すほうでしたんでね、小さい蓄音機が、これぐらいの電蓄買ったのがうれしくてしょうがなくってレコード屋にはよく行ったんですが、その当時買ったレコードをちょっと1か月ほどの日記で拾ってみますと、なんか、単純なもんで「おおスザンナ」とか、「シボレー」とか、「バラ色の月」とか、「マドンナの国から」だとか、「風とともに去りぬ」「ムーランルージュ」、こんなものをレコード屋に行って、昔懐かしい限りでございますが、そういった割合自分ながら、まあ、游学だよな、母親から仕送りをしてきますと、友だちと浜町に出かけるのが1つの楽しみだったですが。
 下宿のほうも、最初の月だと思うんですが、別に食事もなく、下宿代だけ払いますと、あとは友だちと、飲みに行ったって、当時はお酒なんか、ビールなんか飲めるわけじゃありませんから、そうですね、今考えますと、泡盛を飲みに行ってましたですね、泡盛を冷奴で飲んでたぐらいがご馳走だったような感じがしますが、そんな学生生活でございました。
 学外活動を割合やりました。同期生に女性2人がおりましたけども、あとは男子です。そういったことで、活水のみなさんとか女子短大のみなさんとか、ユネスコ協会というのがございまして、長崎ユネスコ協会に入りました。学外活動をよくやったもんです。
 私楽譜をぜんぜん読めないんですが、男性が少ないもんですから、混声合唱団に入れと、読めないんですよというと、声だけ出しとったらいいということで、当時、体で覚えるということで、合唱の低音の部分ですが、今やってませんけども今でも忘れません。そんなこともございましたし、仁田峠に霧氷をよく見に行きましたし、稲佐山にレコードもってグループでハイキングでレコード聴く、割合豊かな学生生活を送ったと思います。
 社交ダンス、今は年寄りがやってますが、当時の社交ダンスはダンス教習所で学生がよく行ってました。1日いて50円です。ただ学生にパートナーを申し込むのが極めて恥ずかしい年頃でございまして、男性のほうが壁の花、花じゃないですね、壁のくもになってました。
 しかし、社交ダンスの基本を習ったっていうのは、ずいぶん役に立ちました。アサヒビールに入って大阪支社で毎年クリスマスパーティーがあるんですが、そのときダンスパーティがあるんですがね、ダンスパーティーのときにはもてもてでございました。私らの世代はですね、やっぱり社交ダンスはなかなか少のうございましたから、そういったこともございました。
 電車に乗っていくわけじゃなくって、片淵町から中通りをずーっと通って浜町まで歩いていく。途中で、ダンスホールアオキっていうのがあった、今あるかどうか知りませんけども。ダンス教習所に通ったのも覚えてますし、喫茶店は今もございますが、浜町の、富士夫、銀嶺はとびきり贅沢な線で、銀嶺と富士夫にはよう行ったもんです。
 そういった学生生活で、今から考えてみますと、やっぱりこれだけ楽だったのかな、長崎のまちは非常に学生に優しいまちです。天領のせいだと思うんですね。日田もそうですし、岐阜の高山も仕事でよく行っておりましたけども、高山の人っていうのはやっぱり外の人に優しい。天領っていうのは年貢を納めないんでしょうね、まちがお金持ちっていうことで、そういう外の人に優しい。
 学生にとって極めて住み良いといいますか、生活のしやすい、学生を許してくれるまちだというふうな感じがしております。
 そういったことで、下宿のおばさんと言っても、もう亡くなっちゃいましたけども。下宿で家族ぐるみで、下宿の皆さん正に家族の一員となって夕食後に「お諏訪さんから立山界隈を散歩しようか」と言って散歩してみたり、そんな学生生活でございました。
 卒業しましてアサヒビールに入りましても、その下宿の家族が愛媛県の松山に引っ越しをして、私は、そういう意味で松山に出張したときには必ず、飛行場の近くでしたから下宿のおばさんを訪ねたものでございます。昨年亡くなられましたけど、そんなお付き合いで長崎の縁というのは本当に広がっていって、私は本当に大村に1年と、長崎市内で3年間いなかったのですが、私は今胸を張って長崎人です。今、長崎県と福岡県と両方で色々やっていますが、両方とも本当に心の故郷。やっぱり3年間、4年間と言っても自分の青春時代の一番多感な時を過ごしたのが、極めて印象が強いんだと思います。そういった面でも「游学のまち」というのは、長崎に游学というのは極めて期間が短いわけですけども、人生の中で大きな意味を持っているこの3年ないし4年になると思います。なんとかぜひ実現してほしい、とそういったお役に立てれば、と思います。
 アサヒビールで副社長になった時、東京で有名な出版社、経済の本ですけど、そこの社長から「福地さん、よく貴方地方大学出身でアサヒビールの副社長になったね。」と言われてムカッときました。その場は笑って過ごしましたけど。
 社長になった時、「副社長でもびっくりしたのに貴方本当に社長になっちゃって。」そういうふうに言われたんです。
 しかし私はね「ああその人は気の毒な人だなあ」。東京の大学もたしかにいいかもわかりません。しかしね、何千人の生徒でね、こういった講堂みたいな所でね、先生の講義をマイクを通じて聞くことはできるかもわからない。しかし私たちは本当に十数人の学生が先生のお宅に行って、先生とですね膝を交えながらゼミをやった。っていうふうな、こういった先生の薫陶に触れるっていうふうな味を知らないんだよな、と私は実感しました。
 そういったことで私は今でもこの長崎大学の経済学部を卒業したっていうのは大変誇りに思っております。胸を張れます。
 私の同期生アサヒビールでは20人程入っております。九州からは私1人だけでございます。ほとんど東京と大阪で、東京は東大と早稲田と慶応、後は京大、神戸、阪大、九州は後にも先にも1人でございますが、分からないものですが成績も一番悪いのが社長になるんですから、若い人達は、特に地方から出た人達は自信を持ったほうがいいと思います。そういった長崎時代でございました。
 本来の「游学のまち」ということについて、どうなんだろうな、一番不安は高校生が游学っていうロマンを理解できるのかどうかな、という感じがします。その前に、この「游学のまち」というのは何を対象にしたらいいんだろうな。もちろん高校生が来てくれたら一番いい。二番目には海外の留学生が来てくれたらいい。三番目はですね、私はシルバー世代とは今言わないプラチナ世代、そうなんです私も同じ後期高齢者で、その方が来てくれたらいい。この三通りあるんだろうな。
 高校生がそういった思いがあるんだろうかな、というふうな感じがします。と言いますのは、もう小学校からいい中学に入るために塾に入る、中学になったら高校進学のために塾に通う、高校に入ったら大学まで、大学に入ったら就職試験が、というふうなことで、本当にゆとりのない学生生活を送っている。そういった人達に游学というロマンは分からないんじゃないかな、というふうな感じがいたします。
 そういったことなんで、「これ頭の中で考えても仕方ないな。実際に聞いてみよう。」と思いこれはこの強権を発動しまして、実は私は小倉高校についても母校ですから、ずいぶんと小倉高校に貸しがあるものですから、色んな事でなんとか協力してもらおうと思い小倉高校の校長に電話をしまして「実は長崎でこういうふうなテーマを与えられてるんで、校長協力していただけませんか。」遠慮して「50人ぐらいで。」と言うと「50人でも100人でもいいよ。」というから「じゃあ100人お願いします。」ということで小倉高校の校長に100枚アンケートを用意しました。
 小倉高校というのは進学高ですから、これはこれでいいとして、進学高でない高校もということで、小倉商業高校の校長も知っておりまして、小倉商業高校の校長にも電話をいたしました。「校長、あの、50人程アンケートに答えてくれませんか?」ということで。これはやっぱりさすがですね、小倉高校100枚お願いしたら96人答えてくれまして回答率というのは96%で極めて高いと思いますが、小倉商業は50人送りましたら50人答えてくれまして、これは回答率というのは100%
 この146人の生徒達にですね「あなたは、長崎大学の各学部と、活水さんか、純心さんか、この長崎の8大学ですか、について、この受験といいますか、長崎に足を運んでそこで勉強してみる気がありますか?」というふうなごく簡単なアンケートをやってます。
 146人の内「長崎市内にある大学に進学したい」というのが14人で、ちょうど全体の10%。あとの132名90%は、やっぱり「長崎に行こうとは今思っていない」と。その理由については、やっぱり色々ありまして、その理由の中の1つに、長崎についての情報量が少ない、というふうな感じがありました。 例えば「長崎市内の大学に進学したい」と答えた学生の理由は「九州圏内の医学部に行きたい」、「薬学部を希望する」、「経済学部を希望する」いずれか特定の行き先をはっきりと決めて持っているということでした。
 「長崎市内の大学に進学したいと思わない」という学生の理由は「あと他に志望校があるから」ということと、それから進学生が少ない小倉商業なんかでは、「むしろ地元の福岡県内の大学に進学したい」。それから「長崎のまちや、長崎市内の各大学をよく知らないから」とする学生がありました。游学先としての情報の到達がまだ不十分、それはまあそうでしょう、今度できたところですから。そういった感じがいたしました。
 しかし今は、私は長崎大学の経営諮問委員も今務めておりますから、大学でもよく話をしたこともありますが、前は入学試験で大学が学生を選びました。今は入学試験はありますが、学生が大学を選ぶ時代ですね。だから私は、入りにくくて出やすい大学は駄目だ。入りやすくて出にくい大学を世の中は待っている。大学も4回生だとだいたいみんな遊んでおりますけど、それはおかしいんで、4回生でしか出来ない単位を取らないと卒業できない、そうすると就職先も手を打って待ってますから、そういった勉強をした学生にはぜひ入ってほしい。今、4年分の授業料を納めて3年間しか勉強しない学生がいますが、4年分の授業料を納めたら4年分きっちりと勉強してもらうというふうな学生を世の中待っているんじゃないかな、というふうな感じがいたします。
 いずれにいたしましても、さっきも少しお話に出ましたが、今、高校生から選ばれるためには、やはり大学としての個性が必要ですね。今、九州でも経済学部は各県にあります。そういった中で長崎大学の経済学部でしか学べない、例えば長崎大学でしか学べない。
 私は、長崎大学でよくお話しますのは、環境科学部というのは九州の大学では長崎大学しかないです。水産学部がありますのは長崎大学と鹿児島大学の2つしかない。まして長崎大学っていうのは、環境科学にしても、水産科学にしても、「東シナ海」。東シナ海の環境問題というは、これはものすごく大事です。東シナ海の水産資源の問題っていうのは極めて大事ですので、同じ水産学部でも私は日本の大学の中の水産学部で、一番やっぱり立地としては恵まれている。そんな感じがいたします。
 そういった経営で言いますと、自分の会社の強み「コアコンピタンス」と言いますが、自社の強みと言いますか、自分の大学の強みをきちんと出す、個性を出していくことが、やはり学生に選ばれるというふうな感じがいたします。
 それから、何でもそうですけども、身内が褒めないのに、よその人が褒めるはずがない。まず私は游学の前に、長崎県の高校の優秀な生徒をよその県に取られては駄目だと思います。まず県内の優秀な学生を長崎のこの8つの大学に囲い込んでしまう。今取られる方が多いみたいな感じがします。まずは、ということで。その上に更に、やっぱりよその優秀な人に来てもらうっていうことが大事なんじゃないかな。いかに県内の優秀な人材を取り込むかが、まず大事かなっていうふうな感じがいたします。
 時間がなくなってきちゃった。
 そのぐらいにいたしまして、私は学生・高校生も大事なんですが、私はやっぱりプラチナ世代っていうのは、こういった游学についてのひとつのロマンを理解できる世代であろうと。
 高校生は高校生として、こういった人達をですね、例えば3泊4日ないしは、4泊5日ぐらいの宿泊学習といいますか、今各地に文化サロンという生涯教育、これはNHKも各民放さんも新聞社も皆やってますが、それぞれありますけども、それは1日何時間か、日帰りで行くわけですけども、そういった実学的なことじゃなくて、すぐには役に立たない、そういったものを学ぶ。それも3泊4日か4泊5日、そういったスケジュールの中で、歴史的な背景も交えながらですね、学ぶ。
 私らの世代というのは特に、私も今日は活水のキャンパスに入ったことが極めて嬉しいんで、経済学部時代の憧れのキャンパスに今日初めて入りまして、それだけで今日お邪魔したようなもんですから、大変感動してますけども。
 自分で学んだ学び舎、そういうのは文化センターのような所でやっちゃ駄目です。サテライト教室じゃ駄目なんですね。やっぱり昔の自分達が学んだ、憧れていたキャンパスの中に入り込んで、そこで、夜は夜でビールを飲むか酒を飲んで食事をするっていうこともあるでしょう。名所、旧跡を回ることもあるでしょう。そういった生活と結びついた、観光と結びついた游学っていうのがあっていいんじゃないかと。
 実はそのことを考えまして、これもまあ頭の中で考えても仕方ないから、これもアンケートを取ってみようと思いまして。
 これはかなり強権なんですが、実はNHKの職員で会長から言われたとなるとだめですから、会長の名前を出さずにですね、NHKの東京の連中と、NHK大阪放送局の連中と、NHK福岡放送局と、それから私の実家のアサヒビールの方で、アサヒビールの東京本社と、大阪支店と、福岡支店と、合計3つの営業所でですね、合計103名にアンケートを出したんです。なんかこのアンケートは、だいぶ上司に胡麻をすっているような感じで、胡麻は使えませんけども、私が質問したのは、「宿泊は3泊4日か4泊5日、その程度で長崎まで足を運んで、さっき言ったような、すぐには行かないかも分からないけど、そういった勉強をしてみたいと思いますか?」と聞きましたら、なんと参加したいが58、したくないが45ですね。多少割引をしたとしても、やっぱり「うん、そうだよなあ。やっぱり游学ということが理解できる世代なんだなあ。」という感じがいたします。
 講座の内容は、どんな講座がいいんだろうなということでアンケートで聞きました。生涯教育的なものがいいって言う方23。学生時代の専門科目をもういっぺんやってみたいってのが5です。色んなものを選択してやりたいが22でした。その他が8でございました。
 ただこれは、ただではできませんので、やっぱりどのくらいのことなら経済的な負担に耐えられるのかなあということで聞いてみました。それでもやっぱり33人が10万円程度ならいい。10万から15万程度ならいいってんのも20人もおりました。できれば夫婦で参加したい、っていうふうなこともありました。そうだろうな、こういったことがぜひ、実現してみたいなあというふうな感じがいたします。
 色んなものについては、後で市長にお渡して帰ります。今回は、ちょっともう時間がございませんので、省略させていただきたいと思います。
 もう1つは留学生の問題ですが、これはやっぱり高度情報化社会の中で情報共有とか、情報伝達時間が限りなくリアルタイムに近い、ゼロではないですね。世界中1秒か2秒の差で日本の情報がブラジルのサンパウロまで届く時代ですから、これは長崎の有利性では、全くありません。
 しかし、留学生とか、ものの動きとかいうアナログ的なものの動きというのは、物理的な距離が近いことであります。
 20世紀はアメリカの時代でしたでしょうし、19世紀はヨーロッパの時代だったかも分かりませんが、21世紀は、間違いなくアジアの時代ですね。アジアの時代に一番やはり長崎っていうのはね。今までは太平洋の時代だったかも分かりませんが、これから先は、日本海・東シナ海が中心になる時代だと思います。
 そういった中で、成田空港から上海に行くのに、成田空港から長崎空港までの方が時間がかかりますよね?長崎空港を通じて上海に行くまでの方が時間が短いですよね?そういった時代ですから、私は留学生っていうのは、やっぱり長崎でとめてしまうべきだと思います。
 東京、東京ならいいですけども、なにもアメリカのハーバードとか、ボストン大学に行くことはないんで、せめて長崎にとまる。
 それでも、別府の立命館ですね、太平洋大学。あれはやっぱり立派だね。81か国の人達が260名いるんですよね?国際学生が。まさに多文化キャンパスというのを別府でつくり上げてますけども、あれは場合によっては、やっぱり長崎の大学が協力していけば、ああいったことができるんじゃないかという感じがします。
 3,200名の国内の学生と、2,600名の、太平洋大学。81か国で2,600名の国際関係の学生と、国内3,200名の多文化キャンパスというんですか、これはやっぱりこういったことが、ひとつ長崎が描いていったらいいんではないかと思います。
 それから色んな事をやりますけども、これから広報活動ですね。どうやってそれを広報していくかっていうことが大事なんですが、実は広報も今は全てネット時代ですから、どういうふうにネットを使っているのかなということで、まず長崎県のホームページを開いてみました。
 県立大学の広報はあります。それは、まあ当然ですね、長崎県のことですから。国立大学のあれだとか、私立の大学の広報はしていませんが、長崎県立大学についての状況が記されてます。
 長崎市のホームページでは、もちろん市立の大学っていうのは無いわけですから、長崎市のホームページでは、小学校と中学校のあれはありますけども、大学についてのホームページはないですね。
 市内の8大学については、みんなホームページはあります。しかしそのホームページと同時に今の学生っていうのは、携帯サイトで情報をたくさん見ます。携帯サイトをどういうふうに作ってるかな?というふうに調べてみました。
 ほとんどの大学、長崎大学と、それから県立大学、純心さん、女子短大、外国語大学については、携帯サイトがございました。総合科学大学については、学部によってあるところと、無いところがありました。活水女子大は在学生を対象にした携帯サイトがございましたけども、やっぱりこういったものを活用していくということが、ネットの時代ですから必要なんじゃないかなという感じがします。
 それから長崎の場合は、食事を県立美術館の館長としておりましたけども、県立の美術館、それから歴史博物館という立派なものがありますから、ああいった県立、市立のああいったものを利用していくというふうなことで、広報活動について少し進めていいたらいいんではないかなという感じがいたします。
 少し時間が押してきました。申し訳ございません。
 それから広報活動というのは、今なにを見てもらってどれだけ広報できるかということで、広告というのは、お金を出してやるものですが、広報っていうのは、ただでやってくれるわけですから、いい情報を出せばですね、新聞社でもテレビ会社でもただでやってくれます。いかに広報するかっていうことが大事なんじゃないかなと思っております。
 それから「游学」っていうのは、なんと言いますか、まちとの共生がものすごく大事ですね。そういった中で、まちとの、行政との共生ということについて、実は私も分かりませんので、NHKが今まで色んな放送の中から、各大学が、どういうふうな形でまちの人と共生してきたかということで、いくつか紹介されてます。
 5つのテーマなんですが、全部やりますと3時間かかりますので、実はアーカイブセンターで全部で18分にまとめたんです。3時間のやつをNHKの東京の方で18分にまとめたものです。それをご覧いただいた後で2~3分私に下さい。ちょっと時間が押して申し訳ございませんが、18分間ちょっとご覧ください。
~~~~~~18分上映~~~~~~
 いかがでございましたか?こういった取組みをするときに、本当に、アサヒビールからNHKに変わってよかったなあと思います。なんせNHKの埼玉県の川口という所にアーカイブズセンターってのがあるんですが、そこに行きますとですね、映像資産が、映像だけで460万本あるんですね。これは私は、NHKの財産じゃなくて日本の財産だから大事にしろと言っています。その他にラジオのやつもありますから、おそらく優に500万本を超えるこういう資産があるんですね。その中から、「これと、これを編集してくれ。」って言うと、すぐにしてくれるので。
 これをご覧いただいて、問題は取組みだけではなく、問題はどれだけ続いているか、ということが大事なものですから、4年も5年も経ってますから、後の取組みがどうなってるかちょっと報告してくれないかということで、報告をしてもらいました。
 まずは、すだちの方がですね、更に活動を拡大して、NPOのすだち以外に鳴門ダイの天日干しなど、特徴のある4つの名産品を認証して東京などでPRを行っているということであります。まさに、広がっているということでございます。
 佐賀大学のアイスプラント。冷やすってやつですが、佐賀大学も研究はずっと継続しておりまして、この2月に東京でもアイスプラントの売込みを行う予定です。
 山口の学生耕作隊ですね、山口の耕作隊も引き続き活動を行っております。団地のリフォームの問題でありますが、これもずっと継続化しております。
 それから竹の問題ですね、竹の新素材です。これも大阪の大手のパナソニックさんとタイアップできたそうですが、竹を素材にした振動盤を敷いて、高音質を実現したスピーカーを開発したということで大変なプロジェクトに育ったようですね。
 長崎国際大学は、本当にほのぼのとした感じがする放送だったと思いますが、NHKの番組放送をした後、「講演をしてほしい」という要望が、あちこちに増えたそうです。今年もお年寄りの施設を訪ねて講演を行う予定だということで、非常にこういったこの取組みが生かされてる感じがいたしました。
 今日ご紹介したのは、大学の方からの市への共生ですが、まちから見た大学との共生というものあるんじゃないかと思います。ご覧いただいてお分かりになるように、大学とまちとの共生っていうのは、本当に限度がないぐらいに幅広い考えや、色んな取組みがあるんじゃないかと思います。
 とりわけ長崎の農産物についても、長崎は佐賀に次いで1番か2番ですよね?「じゃがいも」は、全国で北海道に次いで2番ですよね。魚の「イサキ」とか「アジ」とか「トビウオ」ですか、あれは水揚げ1番で、河豚とかも2番か3番で、苺は4番ですね。長崎は、農産物と水産物について、極めて日本の中での地位が高い。ナンバー1のものをたくさん持っているわけですから、そういったものを更に広げていくということで、色んな面でもまちと大学との共生ができるのではないかな、というふうな感じがいたします。
 私は、やっぱり私に限らず私らの世代は、そうなんでしょうけども、この「游学のまち」と言いますか、要するにキャンパス都市ということについては、極めて大きな憧れを持っております。
 私もイギリスだったら、オックスフォードが素晴らしいなと思って、英国に行きましたときには、オックスフォード大学のキャンパスと、オックスフォードのまちを歩きました。
 北米に行ったときには、ボストンに行きまして、ボストン大学と、マサチューセッツ工大と、ハーバードを歩いてきました。とりわけマサチューセッツ工大っていうのは、長崎大学の経済学部で、マサチューセッツ工科大学のレスリスバーガーという教授が書いた著作をベースにした研究をしておりまして、人間関係論ですがね。それがマサチューセッツ工科大学だったんですが、ボストンに行きまして、それはやっぱり学生時代の思いが通っています。
 そういったことで、ぜひこの長崎が「游学のまち」として大きな成長を遂げてほしいと思います。
 そのために私はよく言うんですが、1つは、夢を描かないと駄目だ。何かやろうと思ったら、夢は描かないと実現はしません。これは、まちづくりだけじゃないです。そしてその夢を描いたら夢に日付を入れる。夢に日付を入れるっていうのはだいたい横着な話ですが、私は、アサヒビール時代、まあNHKの職員にも今でも夢を描け、そして夢に日付を入れよう、この夢はいつまで実現する、ということで夢に日付を入れるということが大事だと思います。
 もう1つは、これはNHKでも言っておりますが、このまちづくりについては、ゴールデンクァルテットで取組みをしてほしい。長崎県、市といった「行政」とですね、大学という「学」と、それから「民」と、それから「企業」と、そういったこの4つの部分がですね、相互補完的といいますか、そういった取組みの中で1つの企画というものを実現していくんじゃないかなと思います。
 先程の話でも県は県、市は市とか、大学は大学、企業は企業といったことじゃなくって、やはり連携したこの4つが相互インタラクティブな作業をし合った中で、1つの企画が実現していくのではないかなと思います。
 15分もオーバーして大変申し訳ございません。これで終わらせたいと思います。
 どうもご清聴ありがとうございました。
(原稿提供:長崎市)

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