揺風会(経専42回) - 集う仲間たち

卒業60年の青春同窓会

 1949年(昭和24年)経専42回卒「揺風会」の島根県出雲市での前回(平成19年)が最後の同窓会の筈であったが、皆が承知せず今年東京・横浜で開くことになった。

 9月9日(水)、瓊林会東京支部の定例会場である東京平河町の都市センターホテルに全国から37名が集まった。最近同窓会離れする向きもいるが、必ず出席する同僚達は肉親以上に嬉しく感じる。

 梶原良平君の司会進行で前回後2年間の7名の物故者に黙祷を捧げたが、いの一番に出席回答を呉れていた名古屋の木下敏夫君が4月に急逝したのは残念であった。

 「揺風健爺の意気」が台風12号を吹き飛ばし、「揺風会の精神は青春であり、不減である」という大会実行委員長原欣二君の持ち前の豪放な歓迎挨拶。つづいて厳粛な雰囲気に変わり、琴古流竹友社師範である橋本義行君の尺八祝曲「二三八返調(ひふみはちがえししらべ)」吹奏、長崎の藤間流師範大神京子さんの「民謡三番叟」の祝舞で華麗に盛り上がり、大阪の井之上正敏君が「80は老いの序の口冬若葉」と全員の健康を祝した乾杯で開宴。宴初に長崎の西武龍夫君のハーモニ力吹奏、複数の愛器を巧妙自在に操りながら、ヴェルディ作曲の歌劇「アィーダ」の凱旋行進曲、滝廉太郎の「荒城の月」を全員が堪能、そしてロシア民謡「灯」に合唱の輸が広がった。西武君は長崎ハーモニカ愛好会及び西武ハーモニカ教室を主催し、来年9月26日長崎市民会館でチャリティコンサートを開く。

 宴酣の中、島原の山本蔦五郎君、長崎の大神徳保君、福岡の安藤和徳君、関西の吉村俊光君、島根の多々納弘光君から夫々の地区の友人動向について報告があったが、河井寛次郎の薫陶を受け、現代民芸の大家となった多々納君は、「卒業間際、英文学の伊東勇太郎教授から禅の諭しを受けて出西窯立ち上げの決心をした。長崎あっての現在の自分だ」と語った。波佐見市の松尾常磐君から、同窓会では音信不通の峰当康君がアメリカで健在との情報、奈良市の大場淳二君からは、兄貴であり同期生(戦時中航空科学専門学校生であったが、終戦後長崎に受験)でもあった大場展郎君(いすず自動車のトップ候補と嘱望され揺風会の世話役であったが、平成15年に惜しまれながら他界した)の7回忌の鎌倉の墓前に今回の全国大会のことを報告したとの述懐があった。長崎市平戸小屋町の松竹秀雄君は、長年研尋してきた「ながさき稲佐ロシア村」の著作を来月長崎文献社から出版する(270頁)と語ってくれた。

 全員思い思いにテーブルを廻りながら酒杯を交わし、最後に原欣二君のタクトで「同期の桜」などを合唱し、校歌で締めた。岡泰君が閉会の辞に代えて三本じめを行ない大会初日を終えた。

 大会2日目、午前8時半東京遊覧のはとバスでホテル出発。9時参議院会館から8月30日の総選挙で政党勢力が変わった国会議事堂内見学、十時大手門から皇居内東御苑庭園を散策、東京遊覧といっても銀座、上野、新宿という定番でなく、2012年に日本のシンボルとなる墨田区の「スカイツリー」が今回の目玉。施主東武鉄道と親密な大林組の施行で、610mの完工予定が142mまで建ち上がった塔体を車窓から遼望して、大林組元副社長の井之上君「無事完成を祈る」と。隅田川を渡り、浅草アサヒビールアネックスビルの酒肆吾妻橋を貸切って昼食。その後お台場のフジテレビの鉄塔上から東京湾を眺め、午後4時半横浜ホテルニューグラソドにチェックイン、6時半からディナークルーズで横浜港の夜景を楽しんだ。

 大会3日目、午前9時臨時貸切バスでホテル出発、港の見える丘公園、外人墓地、みなとみらい、大桟橋、帆船日本丸などを回り、ランドマークタワー内の「美濃吉」で昼食乾杯。

 結局今回を最後とせず、次は世界遺産登録計画の進む長崎・島原が引き受けると山本蔦五郎君が笑顔で答えてくれた。

 3日間の同窓会の一部始終を、52年の歴史を持つ「長崎8ミリビテオクラブ」事務局長の熊谷幸君が、53分のDVDに編集製作し配布して呉れた。

(田代英一郎)
横浜市在住

集合写真の氏名は次のとおり。

長崎経専42回「揺風会」東京全国大会」記念写真
2009・9・9 於東京都市センターホテル

前列
大神 徳保、古賀 清見、中島 奐之、花田 健次郎、原 欣二、中村 義幸、橋本 義行、岡 泰、綱田 幸一、垣原 博道

中列
西武 龍夫、渡部 隆通、中島夫人、庄野夫人、山本夫人、西武夫人、綱田夫人、松尾夫人、熊谷夫人、大神夫人、安藤夫人、坂本美智子さん(故坂本修君夫人)

後列
田代 英一郎、庄野 毅一、松尾 常磐、多々納 弘光、廣島 一郎、山本 蔦五郎、井之上 正敏、松竹 秀雄、安藤 和徳、木下 城力、谷川 務、大場 淳二、吉村 俊光、熊谷 幸、梶原 良平

【2010年1月15日公開】

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