事務局からのお知らせ

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経済学部登録有形文化財プレート上掲式

 昨年、歴史的に重要な建造物で後世に幅広く継承していくものとして、文化庁より登録有形文化財として指定を受けた経済学部の「瓊林会館」、「経済学部倉庫」、「拱(こまねき)橋」の登録を表示するプレートの上掲式が、去る9月26日(金)17時から瓊林会館前で行われました。
 上掲式は心配された雨も無く天気の内に、瓊林会の役員を初めとして、長崎大学、長崎県、長崎市等の関係者約50名が出席し、斎藤長崎大学学長の挨拶、東條学部長の登録有形文化財の紹介の後、関係者によるプレートの除幕が行われ、瓊林会館を寄贈した橋本家から橋本社長の祝辞が述べられました。
 
 その後、拱橋と経済学部倉庫の施設見学を終えた後、瓊林会館2階で祝賀会が行われ、東條学部長は挨拶の中で、「登録文化財の登録を契機として、歴史のある文化財の保存と地域に根ざした学術文化拠点、緑深きキャンパスの魅力と市街地緑地帯としての位置づけの元に、大学外の一般の皆様にも開かれたキャンパスにすることにより、市民の散策の場所となりうるよう片淵キャンパスを生かしていきたい」と抱負を述べられました。その後、宮脇会長が祝辞を述べられ、関係者一同交歓する中で、登録有形文化財の指定の意義をかみしめ、今後恒久的にこの施設が保存継承されることを念願しながら祝賀会は終了しました。
 
 
<瓊林会館>
 この建物は、神戸の橋本汽船の社長であった橋本喜造氏より新築寄贈され、大正8年11月に長崎高商の研究館として落成。昭和47年に同窓会により改修を行って「長崎大学瓊林会館」と改めた。同館は、旧長崎高商の面影を残す唯一の赤レンガ建築であり、同年ここに瓊林会事務局を置き、瓊林会活動の推進を図っている。
 玄関前に2本のオーダーを持つコンクリートのポーチ。イギリス積みの煉瓦と楯石を戴く上げ下げ窓でつくる縦の線を強調した赤と白のコントラストが外観に印象的な表情をもたらしている。
 平成14年 1月 長崎市都市景観賞「歴史のある部門」受賞
 平成19年10月 登録有形文化財指定(文化庁)
 
 
<経済学部倉庫>
 この倉庫は、明治40年2月落成。高商創立当時の現存する唯一の建物で、軍事教練用の小銃等の武器庫として造られた。イギリス積みによる煉瓦壁に木造の洋小屋組で屋根をかけた倉庫建物。開口部にある楯石や窓台石、妻面の煉瓦壁上部には、曲線を主体とした石彫が施される等、重厚な雰囲気を醸し出している。
 平成19年10月 登録有形文化財指定(文化庁)
 
 
<拱橋>
 長崎高商が西山川左岸東側に造成されたため、西山川を横断して道路と接続すべく明治36年11月に架設された。高商創立当時の構造物である。石材の表面は細かく加工され、日本の石造橋が持つ土着性から離れた、端正な近代的設計がなされた石橋である。
 平成19年12月 登録有形文化財指定(文化庁)
 
プレート上掲式の様子
「瓊林会館」
「経済学部倉庫」
「拱(こまねき)橋」

公開日:2008-09-26

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「瓊林会だより」の発行について

 瓊林会活動を広く会員及び一般の方々に周知を図り、全国に活動基盤を有する瓊林会への理解と関心を高めていただくため、年4回「瓊林会だより」を発行し、瓊林会のタイムリーな情報を提供することとしました。8月20日に創刊号を発行し、宮脇会長のメッセージ、本部執行部の新体制の発足、瓊林会の新しい取組み、本部・支部行事の主な年間スケジュール等を掲載いたしました。
 主な配布先は、各支部、経済学部本年卒業生、「瓊林」原稿依頼先、各種行事開催時(経済学部登録有形文化財プレート上掲式、広域懇親会等)、その他会員(部数の関係で一部)等です。
 
※こちらから、より大きな画像をご覧になれます。

公開日:2008-08-20

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常務会開催についてのご報告

 平成20年度第1回常務会が、平成20年7月31日(木)に瓊林会館において行われました。出席者は宮脇会長、藤木副会長、小野専務、高野常務、植松常務、宮崎常務、鈴木事務局長の7名です。
 協議の主な内容は次のとおり
 
1) 女性常務理事の選任
・現在の3名の常務理事に加えて2名の女性の常務理事を追加し、瓊林会の長年の課題である組織の活性化、若年層の同窓会離れ、女性会員対策、会費徴収率のアップ等に対応する体制づくりを行う。 
・女性常務理事は県内、県外から各1名とする。 
・女性常務理事が動きやすいものとするため、下部組織として女性のワーキンググループを組織し、関係機関から選任する。
 
2) 「瓊林会だより」の発行
   瓊林会活動を広く会員及び一般の方々に周知を図り、全国に活動基盤を有する瓊林会への理解と関心を高めていただくため、年4回「瓊林会だより」を発行し、瓊林会のタイムリーな情報を提供する。
 
3) 「瓊林」の内容充実化
   表紙を含め、見直しを図り、内容充実に努める。
 
4) ホームページをリニューアルする。  
   ホームページをリニューアルし、瓊林会活動の活性化等を図る。
 
5) 会計処理規則の制定
   未整備であった会計処理規則を定める。

公開日:2008-07-31

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通常総会時「福地名誉会長」講演内容


「ビジネスマンライフ、半世紀から得た教訓」
 
私は1957年に長崎大学経済学部を卒業し、同年アサヒビールに入社しました。それから今年で51年経ち、ビジネスマンライフが半世紀をこえました。年寄りが昔のことを思い出してあれこれ申し上げるのはあまり良くないのですが、50年もやると、大切に感じたことをそれとはなしにメモしてきたものが30項目以上たまりました。30項目をここでご披露すると3時間かかってしまうので、今日はそのうちの3つ4つをお話ししたいと思います。
 
先ず一番目は「破れない壁はない」ということです。私はビジネスマン生活を50年してきて、妻から「あなたにはストレスはないの?」と言われます。しかし、人間というものにはストレスが無いはずはなく、人間が2人以上集まると必ずストレスが生じます。血を分けた親子でも、夫婦でもストレスはあるし、一人であったらストレスがないかというとそうでもありません。所詮人間は生きている限りストレスから開放はされないのではないでしょうか。私はストレスをなるべく持ち越さないようにはしています。ストレスを持ち越さないためにはどうしたら良いか。私は営業の経験が長かったわけですが、日曜日の夜の憂欝さというものを何度となく経験しました。明日、会社に出てお得意さまのところに行くと、「相談していた例の件はどうなったか」と聞かれる。一方、社内ではその件は上司が承認ならぬ、と言っている。お得意さまと会社との間で板ばさみになって、何ともいいようがない、そのようなことが幾度もありました。社長になったらストレスはないか、というと、社長になっても、会長になっても、相談役になってもそれぞれの仕事でストレスがありました。そのような訳ですが、振り返って考えてみるとずっと解決せずに50年間持ち越してきたストレスというのは一つもありません。50年間解決できなかった難問というものは無いということです。こうしたことから、天災等の自然現象はどうしようもありませんが、こと人と人の係わり合いの中での難問は「必ず解決する」と自分に言い聞かせています。少し以前に長崎県の教育委員会から依頼を受け、県立高校9校で生徒さんたちに話しをしたことがあります。その際、若い生徒の諸君に「君たち、これから悩むようなことに直面することも多いかもしれないが、死なないと解決しない悩みというものはないので、親からもらった自分の命を大事にして欲しい。僕は50年間働いてきて、当時はひどく思い苦しんだ悩みもあったが、結果的にはすべて解決してきた。」と話しをしました。しかし、何もせずに放っておいて解決してきたわけではありません。考えてみると解決のポイントは3つかなあと思います。それを紙に書いて自分の机の上敷きの下に挟みこんで時々眺めていましたが、「今まで通りでは解決できない」「今すぐには解決できない」「一人では解決できない」の3点です。
「今まで通りでは解決できない」というのは、人間はあることに思い悩んでいると、同じ道ばかり辿って他の道を考えようとしないことが往々にございます。例えば、恋をするとその人以外は全然見えないと一途になってしまいます。そうなると同じ悩み事でも解決の道がみつからない。冷静なってみると、他にも道がないかを考え、解決に至ることができる、ということです。次の「今すぐには解決できない」というのは、物事を解決するにはおのずからタイミングというものがあるということです。大概の問題は、早くに手を打つにこしたことはないのですが、勝負事なら勝機というか、物事が上手くいくためにはタイミングというものが大切です。最後は「一人では解決できない」。人間は生まれるときも死ぬときも一人です。所詮、最後は自分ひとりで決断をしなくてはいけないのですが、さりながら上司に相談する、親兄弟に相談する、友人に相談するといったように、人様の意見を聞いてそれを参考にすることができます。自分ひとりでは浮かばなかった良い考えも、人に相談することで浮かぶことがあります。こうした3点で、大体の問題は解決するということを若い人たちにも話しをしています。
 
二つ目にお話しするのは「ナタでも切れる」。学生時代に初めて下宿を経験し、大村の下宿屋さんにたいそう頭の切れる友人と二人で下宿しました。頭の切れる人と一緒に住んでいると、あの人はすぐに出来てしまうのに、こっちはそう簡単にはいかない…というようなことがよくありました。しかし、長くビジネスマンとして何とかなってきたのは、カミソリではなくナタであっても、切り口はともかくも、何とか切れるのだということです。3年ほど前に北陸に出張をした際に、小松空港からの帰りの飛行機までに少し時間があったので、空港近くにある松井秀喜選手の野球記念館に立ち寄ったことがありました。そこで
びっくりしたのは、入口に松井選手の大きな写真がありその上に「僕は不器用だから人一倍練習してやっと追いつける」と書いてありました。あの大選手が僕は不器用だから人一倍練習してやっと追いつけると言っている。だからカミソリでなくても努力すればいいのだ、そういうことを改めて感じました。経済学部の学生時代も、試験勉強は人より早く着手しないと追いつけないタイプでした。アサヒビールの専務時代に、株主総会の担当の役員をしましたが、その時も3月末の総会に向けて正月休みから準備を始めました。カミソリほど切れ味が良くなくても、1回で切れなければ3〜4回で切ればよい。切れ味鋭いカミソリである必要はない、ということをモットーにしています。
 
三番目は「惚れられるより惚れろ」ということです。どんな組織であっても人と人との係わり合いにおいては、会社の上下関係でも、友人同士、また恋人同士であっても、こちらが好きになっても相手が好きになってくれない、ということはよくあります。その時に、自分の相手への好きになり方が足りないと思えというのは難しいことですが、相手が好いてくれるまで好きになろうとするのだ、ということです。これは営業をしている場合のお得意さまとの関係にもいえると思います。支店長を務めていたときに、今でも忘れられませんが、ある大手飲食店チェーンの社長さんのところに前任者と引継ぎの挨拶に行きました。その社長は私の目を見て話しをしてくれない、私の前任の支店長の顔ばかり見て話しをなさる。私をまったく無視される。しかし半年経ち1年経つうちに、その社長と心からのお付き合いができるようになりました。そこに至るまでには、社長の自宅にも良く通いました。無視もされましたが、正月は1月2日から自宅にうかがって、上がりこんでご馳走になったりもしました。人間というものは相手の懐に飛び込んでいけば、心を開いてもらうきっかけが生まれるものです。こちらが飛び込んでいくのが先です。こちらが好きになっても必ずしも好いてくれるわけではない。しかし、こちらが嫌いだと思ったら、間違いなく相手は自分を嫌いだと思っているでしょう。嫌いだとは言わなくても、目はロほどにものを言いというように、表情や行動に出てきます。営業で相手先を訪問して、社長がいらっしゃるかを訊ねて不在だと聞くとホッとする。もしいらっしゃれば話しもそこそこで滞在時間が短くなる。週に1回は訪問するべきなのに、10日に1回、2週間に1回になる。相手はおかしいなと思います。そうしたことで両者の間に溝ができる。こうしたことから、私は「惚れられるより惚れろ」ということを対人関係のモットーにしています。
 
四番目に「デジタルとアナログの融合」ということについて少しお話しします。私は、デジタルはアナログを実現するための手段であると考えています。「鬼に金棒」という言葉がありますが、アナログという強い鬼がデジタルという金棒を持てばもっと強くなる。ただ、この頃、鬼が金棒に振り回されているのではないか、鬼が金棒を持ったがために鬼の体力が弱ってきてしまっているといった感じがします。大阪大学の総長と懇談をする機会があった際、こういう話を聞きました。お医者さんの診察では、先ず患者の顔色を見る、次にベロを出させて舌を見ます。これは視覚を使っています。それから聴診器を当てる。これは聴覚です。次に触診をする。これは触覚です。人間の五感のうち3つを使って患者さんを診る。その次に検査のデータを見る。人間のアナログ的な診察で全体像をつかみながら、より詳しいデジタルのデータをみるというようなやり方が望ましいらしいのですが、近頃はデータから先に入るということが多くて、アナログ的な診察が疎かになっている。総長は、そうしたことを話しておられました。
嗅覚について、フランスの某社が60種類の匂いをデジタル数値に置き換えることに成功したという話しが、以前新聞に出ていました。匂いの区別や表現はきわめて難しいといわれていますが、60種類の匂いを言葉で表現し分けることはなかなかできないでしょう。ただ機器に頼って数値化することに安心し、そもそもの嗅覚やそれを微妙な違いを表現する力も退化してしまうのではないでしょうか。実際、人間の五感は退化していると聞きました。
 
最後に「現場には感動がある」ということについて少しお話します。私はNHKにまいりましてから、先ずは現場を歩こうということで、長崎放送局を始めとしてこれまでで15局くらいの各放送局を廻りました。また放送技術研究所などにも行きました。研究所でNHKが開発した超高感度カメラの説明を受けました。肉眼で見ると真っ暗い中に何か人影らしいものが見えるといった程度のものが、このカメラの映像を見ると着物の柄まで鮮明に見える。先般、漁船に自衛隊のイージス艦が衝突するという大変不幸な事故がありましたが、事故の後の捜索で、水深1800メートルの海底に漁船の旗が沈んでいるのが発見され、その映像がテレビでも報道されていました。それもこの超高感度カメラの映像だそうです。この感度は、写真のフィルムの感度で使うASAで言うとどれくらいなのかと訊ねると、フィルムでは普通使うのはASA100とか400とかですが、このカメラの感度は5万だ、と聞いて驚きました。それから「ダーウィンが来た」という番組で、バシリスクというトカゲが水面をトントンと走っていく映像が紹介されていましたが、あれは超高速度カメラで撮影をしています。そのカメラは1秒間でどれくらいの画像処理を行っているのかと訊ねましたら、1秒間という僅かな間に100万枚の画像処理をしているということでした。にわかに想像もできないレベルです。また、今研究をしているスーパーハイビジョンテレビは、走査線が4500本あるといいます。現在普及してきたハイビジョンは走査線が1125本ですから、あの鮮明なハイビジョンの4倍あることになります。
川ロにNHKのアーカイブスセンターがあります。過去に放送したニュースや番組が、合計460万本保存されていて、その数は今も増えています。このアーカイブスは、NHKの財産というより国の財産であるといえるでしょう。そこに保存するアーカイブスの中で一番古いものは何かと聞くと、19世紀のもので、かつてBBCから購入した、ライト兄弟がドーバー海峡を飛行機で渡る映像でした。こうして現場を廻ると色々な驚きや感じることがあります。
現場から色々なことが生まれてくるということで、私は「現場で、現物を、現実に」という三現主義を経営のモットーにしています。私は東京芸術劇場の館長も務めていますが、劇場の職員に「この劇場ができた当時は、良い出し物をすればお客様は来てくれた。でも今はわざわざ地下鉄に乗って池袋まで出かけなくても、自宅の部屋で高音質の音響機器で音楽を聴けばとても良い音が聴ける。テレビの画質も大変鮮明になった。それでも劇場まで足を運んで下さるものは何かというと"感動"である。現場には手のぬくもりとか共感とか感動がある。そういった現場でしか味わえない感動をわれわれは提供しないといけない。」という話しをしました。
こうしたことで、現場を大切にするというのが私のモットーです。

公開日:2008-06-07

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本部総会のご報告

 平成20年6月7日(土)東京都千代田区平河町「都市センターホテル」において、平成20年度社団法人瓊林会通常総会が行われました。
 総会に先立ち、福地会長に対しまして、顕著な功績をあげ、長崎大学の名を著しく高めたということにより、長崎大学斎藤学長から「名誉校友」の称号が与えられました。経済学部で称号を受けられたのは、土井前々会長に次いで2人目となっております。
 通常総会では、まず福地会長が挨拶の中で「私に会長として与えられたミッションは、百周年を成功させることと瓊林会の活性化ということで、その二つに集中して取り組み、皆さんのお力を得て大過なく勤めさせていただいた。百周年を終えた時から、後の最大の仕事は後継者を見つけることで、私は、瓊林会の会長は歴代東京サイドから出ているが、何回かに1回は地元の長崎から出るべきだ、と思っており、ときあたかも十八銀行の頭取に宮脇さんが就任され、これは一番いいチャンスだなと思い、会長就任をお願いし、快く引き受けて頂いた。新しい時代の瓊林会は、新しい酒は新しい皮袋に、と聖書にもあるように、それを実行したいと思う。」と述べられました。
来賓の紹介の後、福地会長による議案審理がスムースに行われ、平成19年度事業報告、収支決算及び平成20年度事業計画、収支予算とも満場異議なく承認されました。
 その後役員改選が行われ、福地会長が退任され、宮脇雅俊十八銀行頭取が新会長として就任されました。福地会長へは、引き続き名誉会長として瓊林会に残って頂き、指導、助言をして頂くよう要請があり、2年の条件付でお引き受けを頂きました。その他の執行部として、井手専務理事に代わって小野新専務理事(学16回)、一ノ瀬事務局長に代わって鈴木新事務局長(学15回)が選任されました。
 福地名誉会長へは、瓊林会への長年のご功績に対し、宮脇新会長から感謝状とレリーフ(目録)が贈呈されました。
 宮脇新会長から次のとおり新任にあたっての挨拶がありました。
「 昨年の12月に会長という話があり、私にとって青天の霹靂でとても驚いたが、次の理由でお引き受けすることとした。それは、当時福地会長をめぐる周囲の状況が、NHKの会長にという話があり、福地会長が天下国家のために敢えて火中の栗を拾おうとされている時に、できるだけ後顧の憂いをなくすように、瓊林会としては後押しをするべきだと判断したことが一つ。それからこれだけ瓊林会に功績を残された福地会長に、もっと続けてほしいけれども、そこまで甘えたらいけないだろうと思い、これは誰かが受けざるを得ないと考えた。私は福地会長が全国各地に瓊林会の新たな灯をともしてくれたので、この灯を消さないようにするのが私の使命であるので、微力ながら努力してまいりたい。皆さん方のご協力とご鞭撻をよろしくお願いしたい。」
 
 総会終了後、福地名誉会長の「ビジネスマンライフ、半世紀から得た教訓」のご講演が行われ、200名の出席者が傾聴いたしました。

公開日:2008-06-07

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本部便り

4月
 
☆新事務局長が就任
 
本年1月以来空席となっていた事務局長に、
県庁OBで学部15回卒の鈴木 強一氏が
就任した。
空席で多々ご迷惑をおかけしたことを
お詫びしたい。
 
☆校歌指導
 
4月12日(土)伊王島で行われた新入生の
研修会に「校歌指導」のため、
瓊林会 井手専務、鈴木事務局長の他、
長崎市部から餅田 健氏(学5)
福岡支部から田渕 好隆氏(学27)
佐賀支部から糸山 幸久氏(学33)
大分支部から豊田 安浩氏(学28)
黒木 達夫氏(学36)が出席した。
今年で5年目になる。
糸山 幸久氏の巻頭言に始まる力強い
校歌発声に新入生440名が斉唱、
餅田 健氏と田渕 好隆氏の
身振り手振りの踊りまで飛び出し
硬かった雰囲気の会場が一気に
和やかになった。
全員に校歌CDと瓊林会案内を配布した。

公開日:2008-04-16

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本部便り

3月
 
☆卒業証書授与式
 ・長崎大学全学部 長崎ブリックホール
  25日(火)10:00〜 
 ・長崎大学経済学部 大講義室 
  25日(火)13:30〜
 
東條学部長が卒業生405名(院生10名)
一人一人に卒業証書を渡された。
瓊林会から井手専務、藤木長崎支部長、
宮崎常務理事、黒岩相談役が出席された。
夜は在学生主催の卒業パーティが
開催され総勢130名、学生、教職員、
30名のOBが和やかに新卒業式の
門出を祝った。
 
 

公開日:2008-04-16

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本部便り

12月
 
◎ 福地会長はNHK会長にご就任!
12月22日の新聞紙面にとんでもない朗報は飛び込んできた。
衝撃が走った。
思わず目を疑った。「凄い」が第一感。
何故か目頭が熱くなった。
「本当?」当然の疑いがある。
記事を読んで一応は納得した。
NHK会長を決める運営委員会委員長を富士フイルムホール
ディングス社長の古森重隆氏が務めておられた。
お互いに信頼しきった素晴らしい人脈である。
古森委員長は、タガのゆるんだHNKを再建するには会長は
経済界の重鎮の数多く交渉を重ねられた上に福地会長が再適任であるとの結論を出された。
「三顧の礼」ならぬ就任依頼が繰り返された。
福地会長は再三、再四の固辞の後に「人生最後で最大の仕事と
念じて引き受けた」と言われた。
この快事は正に天からの論功功賞だと思う。
若しも福地会長なかりせば母校百周年事業はどうなっていたろうかとあらてめて思う。
オーバーに言えば、北條時宗の再来とも言えるでしょう。
瓊林会会員一万数千人が全力をあげて福地会長を応援いたしま
しょう。
◎ 瓊林111号発行
なかなか難産ではあったが「あとがき」に記したように良く出来て
いた。
相変わらず女性や若い人からの原稿は少なかったが、筑豊支部
の方から いただけた。支部総会の折にお願いした方だった。
外にも「次回には必ず」との返事もいただいた。
全く外部の方から「瓊林」は優れている。有料でも良いから送って
欲しいとの希望もある。
皆さんからの原稿が少なければ年2回発行は難しくなる。
伝統ある会誌「瓊林」を応援してください!
 
▽ 来月の予定
1月15日 在住長崎支部役員 新年会
1月25日 福地会長NHK会長に就任
 
 
 

公開日:2008-01-10

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福地新NHK会長 万歳!

福地会長はNHK会長に就任された。
・就任の言葉
『人生最後で最大の仕事として取り組む。
企業は人なり。職員に気持ちよく働いてもらうためには
軸足がしっかりしていれば良い。
形のないものを届ける事は人材の重みが大きい。
発信する使命の重さに意義を感じて引き受けた。』
・総務省幹部談
「考える中でベストの結果であると思う。」
 
未知の世界が拡がっており、至難の業務ではあるが
福地会長ならば充分やりこなせると思う。
 
 福地新NHK会長 万歳!
 
 

公開日:2007-12-26

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本部便り

11月
 
○ 青春寮歌祭
平成5年に始まって今年で15回目となる。
母校は14回に出場している。
参加校27校中、提唱者の北海道大学始め佐賀大学、福岡大学、
早稲田大学明治大学等10校が連続15回出場している。
11月17日(土)佐賀交流センター「エスプラッツホール」で行われた。
母校は急遽出張先から駆けつけた福地会長以下80余名が
出場した。
勿論参加27校中最大で雛壇に上がりきれない勢いである。
いよいよ本番、糸山リーダーの美声溢れる巻頭言と指揮のもと、
一糸乱れず校歌「暁星淡く」応援歌「三山緑」の合唱は満場の喝采と賞賛を浴びた。
初参加の学生は旧制高校生愛用のマントを身に付けて好奇心半分
不安半分で雛壇最前列で校歌を絶唱した。
各校の平均参加者数は15、6名だろうか
母校は先ず参加者数で他校を圧倒した。
森支部長(学5)、糸山幹事長(学33)藤松実行委員長(学34)始め
佐賀支部更には福岡、大牟田等近郊支部のご協力の賜物と
深く感謝いたします。
遠くは大分、熊本、宮崎、鹿児島からも参加していただいた。
長崎でもマイクロバスを予約して学生の大挙参加を計画したが、
自分達の経済祭の準備で大台百名参加野夢は達成出来なかった。
急遽OBに助けを求めて80代の老婦人から10代の剣道部員まで
総勢17名(学生5名)が車中での「暁星淡く」「三山緑」の発声練習をやりながら楽しく道中を楽しんだ。
来年もマイクロバスでの参加を企画したい。
皆さんも参加されませんか。
多くの大学の校歌斉唱、愛校心が体験できてなかなか楽しいもの
ですよ。
もう一つの寮歌祭について。
10月8日(体育の日)日本寮歌祭が東京新宿で挙行されたが
瓊林会から野田操氏(高商37)渡辺凱昌氏、平塚広光氏、
田尻信夫氏(いずれも学3大宰府市、福岡市、人吉市在住)
中西新一氏(学23横浜市在住)の5名が参加された。
早稲田大学が友情出演してくださった。
11月に亡くなられた高比良洋一氏夫人が早稲田大学出身
とのことであった。
昨年の佐賀寮歌祭に参加された中西さんと渡辺さんとの
約束で実現した。
来年はこちらも大挙参加しましょう。
○ 宮崎支部総会 11月3日 熊本支部総会11月10日開催
いずれも福地会長、井手専務理事が出席された
先に行われた広島支部総会もあわせて福地会長は全支部総会に
出席された。
○ 百周年募金
西九州倉庫株式会社(社長 辻洋三氏学4)から30万円提供があり
瓊林会は広告費として受け入れた。
○ 母校推薦入学試験 11月30日実施 定員50名
 
 来月の予定
○ 推薦入学合格者発表
○ 会誌「瓊林111号」発行 15日発送
 
 

公開日:2007-12-10

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